· 

連帯感について

扉絵

『連帯感』という言葉があります。

 

誰かと連帯している感覚、

イメージは、けっして

ひとつではないでしょう。

 

今回のブログは

『連帯感』のいろんな側面を

皆様と一緒に確認していきたいと思います。

連帯感は、好き/苦手

『連帯感』と聞いた時の印象には、

によって

「好き」

「苦手」

「別に、どちらでもない」

といった違いがあるかと思います

 

『連帯感』が好き派の意見はどうでしょうか?

仲間、チーム、グループで生まれる力によって、

ひとりではできない事柄が達成できたり、

特別な高揚感であったり安心感が得られたりする、

そんな面が好きなのではないでしょうか。

 

『連帯感』が苦手派の意見はどうでしょう?

自分自身の考えや行動についてのペースが

守られにくかったり、

他の人の影響力に合わせることで

疲れたり嫌な思いをしたという経験があるのかも知れません。

 

他にも、「別に、どちらでもない」という意見もあるかと思います。

 

いろんな意見があると思いますが、

「好き」「苦手」「どちらでもない」の

どれが「正しい」とは、ここでは言えないと思います。

あえて言うなら、「答え」は

それぞれの人の感覚にあるのではないでしょうか。

 

皆さんは今、『連帯感』というものにどのような印象をお持ちですか?

 

それぞれの個人的な体験を踏まえた形で

結構ですので、

『連帯感』にはどういったものがあるのか

見ていきましょう。

集団に、はっきりした目的がある/目的が無い

何人か、もしくは何十人、何百人、それ以上の人数の

集団があるとして、

その集団はなにかしらの目的を共有しているでしょうか。

はっきりした目的がある場合もあれば、

なんとなく集まっている場合もあります。

比較してみましょう。

 

「はっきりした目的のある集団の『連帯感』」

スポーツで勝利を目指すチーム(スタッフなどを含む)などが挙げられますが、

目的に向かって

ブレずに一緒に達成しようと協力するものではないかと考えられます。

 

はっきりした目的の存在によって、

『連帯感』が高まったり維持されやすい

といった作用がもたらされる効果もあるでしょう。

 

「はっきりした目的が無い『連帯感』」

例えば、一緒に居るだけで『連帯感』が成り立つ仲の良い関係性で、

会ってから「今日はどうしようか?」と話し合うといった形であれば、

ゆるく、居心地の良さといった要素を大事にしているとも考えられます。

 

はっきりした目的が無くてゆるい『連帯感』でも、

繋がりによって、孤独感が癒されたり、支え合えたり、

情報のやり取りができたりと、様々な良さがあるでしょう。

そういったような、言葉で明示されていない目的らしいものが

実はあるのだ、とも言えます。

 

「目的がどういったものなのか。

そして、どのくらい(言葉のやりとりなどを通じて)明確に共有されているのか」

という視点でも、

その集団の『連帯感』の意味合いを捉え直せると思います。

なお、

「目的が明確に共有されている」というのは、

良い面もありますし、居心地を窮屈にさせてしまう面もあります。

ここでも当人たちの中にある感覚こそが大事であり、

第三者の視点で「正解」と呼べるものは無いのだと思われます。

 

さて次は、

さらに『連帯感』の性質に関わる話をしていきましょう。

仮想敵を設定する/しない

『仮想敵(かそうてき)』という言葉を

聞いたことはありますか?

 

「実際に敵なのかどうか」は置いておいて、

ひとまず「敵として想定しよう」と設定するのが『仮想敵』です。

そのような『仮想敵』が設定されることによる作用

集団の『連帯感』に関わってきたりします。

 

「あれを敵として定めよう」といった『仮想敵』の方針に

賛同して乗っかった人たちの間では

『連帯感』が高まりやすいと考えられます。

前の項に書いたような明確な目的の共有という点とともに、

感情に働きかける点が、理由として挙げられるでしょう。

 

ちなみに、『仮想敵』を設定すると言っても、

『仮想敵』についての悪口を言うといった攻撃性を含むものもあれば、

そうではなくて、

ライバル・チームの強さを認めて打倒を目指すような

『仮想敵』をリスペクトする(『仮想敵』に敬意を持つ)ものもあります。

 

いずれにしても、『仮想敵』を設定することによって

『連帯感』は高まりやすく、方向性にブレが生じず、短期的には有効かも知れません。

 

一方で、『仮想敵』を設定しない集団の『連帯感』もあります。

悪口や、何かを打倒するといったことを抜きに、

それら以外の要因や自然な流れで高まっていく『連帯感』です。

あえて比較するならば、「ゆっくりと形成されていく」と言えます。

 

このように、『仮想敵』の有無について分類ができるでしょう。

 

ここで

『仮想敵』が設定される際のリスクを押さえておきましょう。 

集団において『仮想敵』への攻撃が起こるのを許容した場合、

それによって『連帯感』が高まった集団内の人たちは、

どのような心理状態で、

どういった動機で

動くと考えられるでしょうか?

また、

『仮想敵』にリスペクトを示す形をとるつもりなら、

誰かが憎しみを持ち込んで攻撃性がエスカレートしてしまう危険性は

どのように防げるでしょうか?

 

『仮想敵』を設定することの意味とリスクについては

状況によって異なるので、それぞれで検討してみてください。

 

なお、

『仮想敵』が想定されていたとしても、

一線を越えなければ大丈夫、という面はあるようです。

例えば、部下の扱いが雑な上司がいるとして、

その部下たちが集まって「ひどいんだぜ。こんなことがあって…」と

語り合ったとしたら、

そこで『連帯感』が一気に高まりそうな感じがします。

結果、気が晴れて「上司との関係が無くはならないけど、

明日からもがんばろうぜ」と気持ちの切り替えになるのなら、

必ずしも悪い『連帯感』だとも言い切れません。

では、こういった際の「越えない一線」とはなんでしょうか?

 

これも状況によって異なるので、一概には言えません。

私としては「ギスギスしてるのは良くない」ぐらいは言えますが。

 

改めて『仮想敵』とは、

「実際に敵なのかどうか」は置いておいて、

ひとまず「敵として想定しよう」と設定するというものです。

個人と集団の関わりを考えていくヒントにしてみてください。

 

続いて、さらに『連帯感』をテーマとした

個人と集団のあり方について書いていこうと思います。

同調を強いられる/個々人の主体性が守られる

『連帯感』がある集団において、

そこに属する人は、

・同調を強いられる場合

と、

・『主体性』が守られる場合

あります。

 

たいていは「時と場合によって」と捉えられるでしょう。

ですが、とりあえずは

次の用語について触れておきたいと思います。

 

『同調圧力』同調を強いる働きというのは、

目に見えるなんらかの形で、

言葉によって、

もしくは言葉でさえない見えない形で

展開されていきます。

その影響力は、どのようなものでしょうか。

 

『同調圧力』によって

『主体性』が低まり判断力を失っていく人もいるでしょう。

特に、集団の内外に向けられた攻撃性を含んだ『同調圧力』は、

同調を強いる力が強く、

個々人の判断力を奪い、ひいては集団の持つ力を損なうリスクがあります

また、中には

『同調圧力』を嫌だと感じて

集団への『連帯感』が冷め、離反する人もいるでしょう。

 

理想的な集団とはなにか、というイメージのひとつには、

『連帯感』によって個人ひとりでできること以上のなにかが達成できて、

かつ

個人個人の『主体性』が保たれたものなのではないでしょうか。

もし理想を実現しようとするなら、

『主体性』を損ないかねない『同調圧力』には頼ることのない

『連帯感』を模索するのが良いでしょう。

個人と集団に関する心理カウンセリング

『連帯感』には

個人の力を超える可能性もありますが、

まるでボタンの掛け違いのようなちょっとした勘違いで

うまくいかないものもあります。

 

集団を運営する立場の方は、

小さなグループであれ、大きな会社であれ、

個人の思いを推し測った適度な『連帯感』のメンテナンスに

絶えず気を配ることが望ましいでしょう。

 

集団に属する立場の方は、

時には『同調圧力』にさらされたりしながらも、

『主体性』を保って関わるのが

心理的に健康な『連帯感』に結びつくと考えられます。

 

心理カウンセリングは、

個人が集団と関わっていく上での

理性的に判断する力をサポートいたします。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

鹿野 豪

川越こころサポート室のロゴ

↓心理ブログ一覧はこちら

心理ブログ一覧へ

電子書籍のご紹介

臨床心理学ってなに?の表紙絵

amazon kindle(電子書籍)にて発売中