身近な心を、もっと身近に
今回は、
『心理ブログ』 のサブタイトルにまつわる私の思いを
書こうと思います。
そこには、
ひとりの臨床心理士として、ひとりの公認心理師として
感じる、もどかしさがありました。
少し気恥ずかしい語りになりますが、
「とある職業の人が書いた読み物」と受けとめていただければ幸いです。
心理職としてのもどかしさ
「誰もが心を使って生きているのに、
心理にまつわる知識は、
どうして世間に広まっていないんだろう」
これこそが、もどかしさです。
中学校や高校で教わる教科には、
いずれも
相応の学ぶ意味や価値があるのだと思います。
ですが、
「そこに、どうして心理学が入っていないんだろう…?」と、
もどかしく感じるのです。
個人的には、医学に関しても全く同じことを思います。
確かに、
理科の授業では
基本的な人体の構造について学びましたし、
家庭科では
体調に関係する栄養学について扱われてもいます。
人との関係の倫理についても
学ぶ機会は設けられているでしょう。
それに、
「いざとなったら素人判断ではなく、専門家に頼るから…」
という考え方も、あながち間違いではありません。
専門家は、
そのために知識を備えているのです。
ですが、根本的に「なにかが足りない」や「ちょっと違う」、
といった思いが私の中に湧いてきます。
そして自問自答を繰り返すうちに、
ふと、こんな疑問に至りました。
専門性を一般に提供する身として
一般の方が 「この場合は心理カウンセリングを受けよう」 と踏み出す際の
判断の材料を
心理学(ここでは特に臨床心理学)という学問は
はたして、ちゃんと提供できているのでしょうか。
残念ながら、
「充分にできているとは言えない」
と、私は思いました。
私の憶測になりますが、
「今の自分には心理カウンセリングが役に立つ」と判断されるのは、
そういった勘がよく働く方か、
過去に良いカウンセラーと出会った経験のある方か、
ひとに勧められた方、
もしくは心理的に追い詰められて逃げ込むように辿り着いた方に、
おおよそ限られるのではないでしょうか。
「これからの時代、メンタルの安定のためにカウンセラーと契約するのは普通のことです」という
進歩的な価値観をお持ちの方もいるでしょうけど、今はまだ少数派と言えるでしょう。
「こういう場合は心理カウンセリングに行く」 と、一般の人が踏み出す際の
判断の材料を
充分に提供できていないという点に
臨床心理士としての社会的な責任から、もどかしさも覚えていたのです。
先ほど、「医学の授業もあった方が良いと思う」という私見も書きましたが、
このもどかしさを、医学に置き換えてみます。
「早期発見・早期治療が重要」という
お医者さんの立場であれば、
「こういう状態の時には、病院に来てください」という情報こそ、
広めたいはずじゃないだろうか、と私には思われるのです。
ここで、また心理学に話を戻します。
私としては、
学校の授業で扱われるようになれば、喜ばしいです。
名称は「メンタルヘルス」や「精神的健康学」でも結構です。
ですが、まだ待たなければならないでしょう。
知識を広める意義や目的が定まっているのだから、
ブログで地道に発信しても良いのではないか、という発想に行き着いたのです。
『心理ブログ』の目的
第一には、
一般の皆さんに、
心についてのより正しい知識を知っていただき、
「身近な心を、もっと身近に」 感じていただくことを目指します。
そして、第二に、
どんな時に心理カウンセリングが役に立つのか、
判断の材料にしていただけるものを示していきたいと思います。
※ ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは
川越こころサポート室が提供するものを想定しております。
他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。
鹿野 豪
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