今回は「現実」ってなに?という話を
心理学の視点からお伝えしたいと思います。
空想と現実
「現実」の反対は?と聞かれたら
「空想」と答える方は多いと思います。
もちろん
「現実」の反対は「空想」と言って間違いはないと思います。
一方、心理学では
それとは異なる考え方があります。
「空想」と「現実」を対として置くのではない、
別の考えとは
どんなものの見方なのでしょうか?
心的現実
心について考えてみましょう。
心には形が無く、目に見えません。
そのため「心にある」や「心に起きている」といった
事柄そのものは
具体的な形でハッキリと現れたりはしないものです。
客観的ではなく、主観的です。
とは言え、心の中のこととしては
「実際にある」「実際に起きている」と
言って差し支えない面はあるでしょう。
なにかしらの現象が心の中に、あるのです。
この「実際に」という言葉を
「現実に」という言葉に置き換えてみましょう。
すると、
たとえ実体のない心の中の現象であっても
「そういう現象が実際に心に起きているのは現実だ」と
みなすことになります。
そういう見方を
心理学では『心的現実(しんてきげんじつ)』と言います。
もし心の中で「空想した」のであれば、
空想したという事実それ自体を個人的な「現実」に含めるのです。
目に見えないものだって「現実」の一部だ、というわけです。
心に「ある」ということ
『心的現実』という広めのくくりで
「現実」を捉えることの意味については
こちらのブログを読んでいただけるとさいわいです。
客観的な「現実」として目の前にコップがあるなら、
「目の前にコップがある」を否定できません。
それと同じように、
『心的現実』を軸にしたとき
実際に空想をしたのならば
「こんな空想をしたよ」は「現実」であり否定できないのです。
重要なのは
目に見えないといえ軽視しないことです。
心理学における心
心理学以外の、例えばですが経済学とか他の分野で
「現実」とは「客観的なもの」を指すのかも知れませんね。
「それは空想だ」という言葉は
客観的ではない発想を
軽んじる意味で使われたりもするでしょう。
心理学では
客観的な出来事と同じくらいに
またはむしろそれよりもさらに
個人的な体験に基づく『心的現実』は
本人にとって意味を成すと考えます。
『心的現実』も
客観的な「現実」に劣ることの無い
「現実」なのです。
心理カウンセリングでは
時には目に見えて分かりやすい「標準」や「一般」の話は脇に置いてでも、
ごく個人的な体験としての『心的現実』を
ないがしろにしないことを基本とします。
たしかに
客観的な現実もまたおろそかにはできません。
だとしても、それは
『心的現実』を否定してまで優先することではないですよね?
少なくとも心理カウンセリングではそのように
人の心を大事にしていきます。
※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは
川越こころサポート室が提供するものを想定しております。
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