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承認欲求とは

扉絵

『承認欲求』とは、認められたい欲求です

 

言い換えると、

認められた嬉しさや

認められた充足感を求める欲求、

それが『承認欲求』なのです。

 

今回は、『承認欲求』について理解を深めていきましょう。

 

※ちなみに、「自分で自分を認められるようになりたい」という

欲求を『承認欲求』に含める理論もありますが、

本ブログでは意味の違いに基づいて扱わないこととします。

承認欲求のあり方

どんな『欲求』にも、強さの程度があります。

『承認欲求』にも、強いのもあれば、弱いのもあります。

 

「別に、ひとに認められようと認められまいと、関係無い」

心底から思っている人もいるでしょう。

そういう人は『承認欲求』の低い(弱い)人です。

 

それ以外の人であれば、多かれ少なかれ、

「ひとから認められると嬉しい」と感じたり、

「ひとから認められることには意味がある」と思うことでしょう。

 

ただし、

「『承認欲求』が強い」と言うだけではまだ不充分です。

 

『承認欲求』が

なんらかの動機になっている面や、

どう行動の内容に絡んでいるか、

その欲求が充足しない時に起きがちな事、

そして、

どのような形であれば満たされ得るのか、

人間関係にどういった影響をもたらしているか…、

それらの理解を深めることで

見えてくるものがあるのではないでしょうか。

動機となる承認欲求

「認められたいから、なにかをする」といったように、

『承認欲求』が行動の動機になることがあります。

 

突発的な行為の場合もあれば、

人生の大きな決断をする場合もあるでしょう。

 

実際に「なにをする」のでしょうか?それが内容です。

充足したり不充足となる承認欲求

欲求』なので、

満たされると、気持ちは落ち着きますし、幸せな気持ちになるでしょう。

 

ですが、『欲求』の充足は

いつも・いつまでも続くとは限りません。

 

不充足になった時、どんな気持ちになって、

どんな考え方になったり、どんな行動をとりやすいでしょうか

標準的かどうか

心理学とはおかしなもので、

個人の心理のありのままに理解することを重んじますが、

その一方で、

そうした心の状態や現象が世の中の標準の中に収まるかどうかについても考えます。

いえ、一見おかしいようで、実は矛盾はしていません。

心理学ではむしろ、

「標準に収まらない事柄をネガティブに見る」ような風潮に立ち向かうべく、

個人の体験を理解する目的で「標準に収まるか」を分かっておきたいのです。

 

前置きが長くなりましたが、

『承認欲求』においても、

標準の範囲に収まる形態や程度と言えるものもあれば、

人間関係をゆがめたり心の痛みを伴うほどのものもあるのでは

と考えるのです。

 

標準に収まらないのは、なんら恥ずかしいことではありません。

強すぎる承認欲求

『承認欲求』の動機、内容、充足、不充足…。

いずれにおいても、

それをコントロールする本人の能力に対して

強すぎる場合があります。

 

動機において『承認欲求』が強すぎると、

安易に判断しやすくなる恐れがあります。

 

内容において『承認欲求』が強すぎると、

本人にとっても関わる人にとっても、

人間関係をその意味で成立させていくという関係性の幅の狭さが起こります。

 

充足において『承認欲求』が強すぎると、

その充足をなんとしてでも保持し続けようとするかも知れません。

 

不充足において『承認欲求』が強すぎると、

とてもつらいことでしょう。

承認欲求の背景

どうして、認められたいのか?

『承認欲求』がどうして生じるのか?

その背景は、ひとつとは限りません。

 

生まれ持って培ってきた性格的なものもあるでしょう。

なんらか心の傷つきを補おうとしたり

心の穴を埋めしようとする特徴が強い『承認欲求』もあります。

かつて承認されることの嬉しさを味わったり、「これだ」と感化された体験も

背景となり得ます。

「承認されることが必要」と、強く思い込んできた人もいるでしょう。

 

どれかひとつとは限らないのです。

アドラー(1870–1937)

ここで紹介するのは、オーストリアで活動したアドラーという内科医・精神科医です。

 

アドラーの論述を私なりに要約すると次のようなものです。

「かつて満たされなかった他者からの承認を今に求めて、称賛を欲するのは時に危険ですらある」

肖像画
アドラー

人間関係に潜む『承認欲求』に捕らわれてしまっている問題を看破し、

危惧していたと言えるでしょう。

 

その流れを汲むアドラー心理学者の中には

『承認欲求』を捨て去ることで自分の人生が獲得できると

説く人もいます。

承認欲求と心理カウンセリング

『承認欲求』について書いてきましたが、

いったん、シンプルに『欲求』の話をしたいと思います。

 

『欲求』は誰でも持っていて、

その人の人生を、

その人の個性を、

その人の日常を、

良くも悪くも(と、あえて評価をしますが)様々にいろどるものです。

 

良くも悪くもなので、

自分の欲求とどうつき合うかが重要と言えるでしょう。

重要なのは、

時には満たしたり、時には折り合いをつけたり、距離をとる方が良いものもあったり…、

そういった欲求とのつき合い方です。

 

『欲求』と対になる概念は『理性』です。

両者は、「対立」しますし、「協力」もします。

 

心理カウンセリングでは、『承認欲求』について

どのようにつき合っていくのか、

たし方、折り合いのつけ方、距離の取り方、

いろいろな視点から取り組んでいくことができます。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

※ 今回ご紹介した アドラーの論述の主旨と人物像 には、

 ブログ記事用に、再解釈し単純化をしたところがございます。

鹿野 豪

川越こころサポート室のロゴ

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