パートナーについて
「パートナー」 という言葉があります。
夫婦で相手のことを 「パートナー」と称する方もいますね。
他にも、
仕事上のパートナー、
スポーツ競技でのパートナー、
趣味におけるパートナー、
暮らしのパートナー、などなど・・・、
様々なパートナーシップがあるようです。
漫才なら「相方」、
刑事ドラマなら「相棒」です。(?)
相手が人間じゃなくとも、
警察官と警察犬というパートナー。
生き物に限らず、
ミュージシャンにとっての長年の愛器というパートナーでも
「パートナーだ」と言って良いわけです。
関係性としては、お互いの個性を認めて尊重し合い、
同じ目的のために歩み続けるのが理想のパートナーだ
と言えるでしょう。
心理カウンセラーは、
心を活かすという目的における
皆さんのパートナーという存在なのです。
(参考 >>公認心理士・臨床心理士とは へ)
今回、お伝えしたかったことは以上となります。
ですが…、
これは『心理ブログ』。
せっかくですので、心理学の話をしましょう。
間主観性とは
心理学では、
『間主観性』(かんしゅかんせい) という言葉が用いられます。
区切り方としては、『間/主観/性』(かん/しゅかん/せい)です。
主観というのは、
それぞれの人が持っている、ものの見方ですね。
客観は、主観の反対で、「主観よりも確か」な面もあります。
ですが、
「完璧に客観的な人」などはどこにもいません。
誰しも、
いくらかは主観的なものの見方をして
生きています。
さて、ひとの主観は、
いつでも世の中に通用すると
言えるでしょうか。
いいえ。
思いが通用しなくて傷ついたりもするでしょうし、
時には、
「通用するのだろうか?」と
心細くなるのも普通の話です。
「通用してるんだ」と言い張って
自己正当化を頑張っていてるのに、
実はズレている場合もあるでしょう。
主観と客観の間に、
なにかワンクッションがあれば良いのに…。
そこで思い出したいのが、
理解あるパートナーです。
パートナーは、
お互いの個性を認めて尊重し合い、
同じ目的のために歩み続けるのが理想、と書きました。
そうだとしたら、よく話し合うことを経て、
相手の主観のあり方を理解していく
ものでもあるでしょう。
ふたりの人の間にできていく
互いに主観の分かり合えている部分、
それが 『間主観』 と呼ばれるものです。
この『間主観』に基づくのが、
『間主観性』となります。
「世の中に通用するかどうか」の以前に、
「両者の間では通用した」というのが
『間主観性』として、
ワンクッションになり得るわけです。
主観に背景あり
ある人が「宝くじが外れて、悔しい」と言ったとしたら。
赤の他人からは「何を言ってるんだろう?」と
冷ややかに反応されかねません。
「宝くじなんて運任せだし、外れることの方が多いよ」などと、
思いを分かってはもらえないかも知れません。
一方、
その経緯や事情、個人の性格までも
先に知っているパートナーだと、
悔しい思いの主観的な意味を汲むことができるのです。
間主観性は心の支え
誰でも、主観的な思いが世の中に通用せずに、
心理的にはへこまされて
退却を余儀なくされる時があります。
そんな時、
パートナーとの主観が理解された関係性があれば、
両者の間にある『間主観性』にまで立ち返って、
心理面を立て直すことができる、
というイメージです。
『間主観性』 は、世の中にさらされる
主観の本質的な弱さを補って、守ってもくれるはずです。
これは、一般的な言葉だと、
「よき理解者の存在が、心の支えになる」と
同じなのだと思います。
※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは
川越こころサポート室が提供するものを想定しております。
他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。
鹿野 豪
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