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心は主体であり相方でもある

扉絵

今回は、

人は主体性の核として心を使って生きていますが

それと同時に

あたかも相方であるかのように自らの心を見ることもできる、

というお話です。

相方として見る

誰の心もそれぞれに個性的です。

自分にとってこころよい面ばかりではなく、困った面も含めて。

人生はそんな自分の心と付き合っていくものでもあるのです。

 

時には、自分で心をなだめたり…、

時には、一緒にぼやいたり…。

 

「最近、調子どう?いろいろあったけどさ」のように

自分の心と語り合う時があっても良いでしょう。

大変さを体験してきたのなら、ねぎらいの言葉をかけてあげましょう。

 

「いろいろあって、やっぱり疲れたよ」

「そりゃ疲れたよな」

「うん、疲れた」

「お疲れさま。ちょっと休んだ方が良いかもな」

「休むかぁ。どうやって?」

「どうやってだろう?ともかく休みもだし、気晴らしも必要じゃないかな」

こんな対話を心の中でするのもありですし、

もしくはこんなストーリー仕立てでなくてもかまいません。

 

ともあれ、自らの心の声に耳を傾けるのです。

主体性のために

自分の心を外から見るかのような

「相方」という考え方が

主体的な感覚と距離をとって客観的に判断できるなど

助けになる場合もあるでしょう。

しかし

心を主体として感覚を味わう面を

ないがしろにするものではありません。

 

「自分はこういうタイプだよな」と決めつけて

対話を終わらせたりはしないことです。

「いやいや、そうでもないんだよ。実はこうも感じていてさ…」

 ちゃんと主体にも立ち返って。

 

一瞬一瞬の微妙な感覚を捉え続けること、つまり

主体の感覚に集中することもまた心にとって大切

自分の心を相方として接するあり方が、

それを邪魔してはいけないとも思います。

 

主体としての心と、

相方としての心の、

行ったり来たり

両方を大事にすることが肝心です。

心と付き合う

人は、自分の心でありながら、

そのすべてをコントロールできるわけではありません。

 

「相方」という考え方にもそれは通じます。

 

思い通りに操作しようとするのではなく、

または完璧を目指すのではなく、

それなりに上手に付き合っていく方向性が見えてきたら

より気持ちも楽になっていくのかも知れません。

 

主体として心を使って生きていく。

相方として心を見て、時にはいたわったりする。

それらはバランスで成り立っているとも言えます。

 

自分の心との付き合い方について検討する際も

心理カウンセリングでサポートいたします。

お気軽にご相談ください。

鹿野の顔写真

鹿野豪

公認心理師(登録番号 : 2225)

臨床心理士(登録番号:  17852)

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