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無自覚について(解離 編)

扉絵

『無自覚』 を生じさせる心の働きは、いくつかあります。

 

それらは確かに脳神経の働きによって起きている現象なのですが、

このブログでは

心の機能としてイメージをつかんでいきたいと思います。

 

回は、

『解離(かいり)』という機能に注目してみましょう。

 

これもフロイトが発表した心の機能のひとつです。

 

『解離』は

なんらかの要素を

他から分断する

というイメージが当てはまるのではないかと思います。

 

このブログでは、ドアのついた壁に例えることにします。

こっちに部屋があって、

壁(ドアつき)を挟んで、

向こうにも部屋がある

それが心を分断すると考えてみましょう。

解離とは

脳の中に壁やドアが現れるわけではありません。

あくまで心の機能を理解するための、ものの例えです。

 

元々、心の活動において、

壁の区分けがいくつも備わっている人もいれば、

1部屋の中でやりくりしている人もいる、

と考えてみてください。

ドアを開けて行き来することに慣れた人もいれば、

ほぼ行き来しない人もいるのです。

心の部屋は、

現実の状況や役割に応じて

使い分けている人もいることでしょう。

 

しかし、

その壁があまりに頑強で、ドアが開かない場合に、

向こう側のことの自覚に欠けるという現象が起きます。

 

ここでは、

そういった分断を『解離』とみなすことにします。

 

『解離』は、

これまで活動していた部屋を去って、

別の部屋に行き、

ドアを閉めきってしまうようなイメージです

隔離とは

見たくない特定の要素をドアの向こうに押しやって、

他の要素との関係を断つことができるとします。

 

心にはそれに相当する

『隔離(かくり)』 と呼ばれる機能があります。

 

心の中にあるなんらかの要素を、

壁の向こうに追いやり、

他との関係性や結びつきを自覚せずに済ますのです。

 

解離との違いについてですが

(日本語では一文字違いなんでややこしい)、

心での主体がドアをくぐって向こうの部屋に行くのが解離、

くぐらないのが隔離と考えていただければと思います。

 

要素の大きさは、さまざまでしょう。

まとまりごと全部の場合もあれば、

一部分を切り取ったものの場合もあります。

 

箱に封じて同じ部屋に置いておくよりも

目につかずに済むと言えます。

 

隔離の問題点には、

部屋の向こうに押しやった要素に関して

こちらの部屋で対応ができなくなることと、

そして、

向こうの部屋(それも心の一部)にも事情がある、

ということが挙げられます。

おらさいと補足

ここで、おさらいと補足をします。

 

読の方は、ひとつ前のブログもご参照ください。 

>>『心理ブログ』無自覚について(無意識 編)

 

無自覚をもたらす働きとして、

無意識「箱に押し込んで封じること」と、

解離「壁の向こう側に行ってドアを閉めること」、

隔離「壁の向こうにおしやってドアを閉めること」

を挙げました。

 

これらは

区別が難しく、時には混在します。

部屋を移る解離であっても、

向こう側の部屋の内容がすぐ次の活動ができるぐらい

充実して整っていたとしたら、

「結果的に…」ですが、

「それまで活動していた側が隔離されたのだ」と

みなすことも可能です。

 

それでも、

心の働きとしては、

別のものと区別して考えられます。

それは教科書的に区別するというよりも、

当人がなにをどう体験しているかにもよるでしょう。

 

さて、次は、

解離によって分断した向こうにも主体性が生じたら…、

という話です。

解離性同一性障害とは

人の心に備わる主体性は「ひとつだ」と

思われがちですが、

実はひとりにひとつだとは限りません。

誰でも、心の中に複数の主体性の核を持ち得るのです。

 

心の中に頑強に形成された壁を挟んで、

それぞれの部屋に主体性が備わる現象が

まれにあります。

そうして複数の主体性が、

互いのことを「他者だ」と思いながら

各々に育っていくのです。

 

これは決してオカルトのたぐいではありません。

『解離性同一性障害』と呼ばれるものです。

 

この用語を分解すると、

心の中の壁(解離)

によって(~性)、

自分がひとりだという感覚(同一性)に

本人にとっての困難さ(障害)が生じるものとなります。

繋げたものが『解離性同一性障害』という名称です。

 

解離性同一性障害においては、

ドアの開け閉めのイメージで言うのなら、

常に閉ざされていて互いの存在に全く無自覚な場合もあれば、

開けることができて、交流をしていく場合もあります。

解離と心理カウンセリング

解離』について、

心を、部屋のイメージで説明しました。

 

ドアの向こうに行ってしまえば、元の部屋のことは

無自覚になります。

それが基本的な『解離』です。

その機能に関連して、

触れたくない要素だけを壁の向こう側に押しやる『隔離』や、

向こうの部屋にも主体性が育つ『解離性同一性障害』について

書いてきました。

 

いずれもそこに生じている「分断」が理解のカギです。

 

心理カウンセリングで目指すのは、

の部屋の要素に関わる事柄に対して

本人が避けたり困惑したりせずに済むようになったり、

向こうの部屋に育った別の主体性との間で

ともに仲良くしていけるようになることだと

考えられます。

いずれも無理や苦痛を覚えること無く、

ドアを開けられるようになるイメージです。

その他の無自覚について

なお、無自覚は

『無意識』や『解離』の働きによって起こるものばかりではありません。

 

他の理由により生じる無自覚もあります。

心理学では

現実に起きていることに対して「そんなはずはない」と

逆のことを主張する『否認(ひにん)』と呼ばれる働きや

自分の都合のいいように捉える『歪曲(わいきょく)』という働き

などが知られています。

また、

感度の鈍感さや、なんらかの能力の偏りや、

特定の知識の無さについても、

無自覚さをもたらす原因ではないか検討してみる価値があるでしょう。

 

それぞれの特徴や違いについて書けるといいのですが、

そうすると専門書になってしまうので、

ブログでは「ここまで」ということでご容赦ください。

無自覚と心理カウンセリング

最後に、

無自覚について改めて基本的な方針に言及して

しめくくりたいと思います。

 

心の健康を望む人にとって、

無自覚が自覚に変わるのは望ましいと考えられます。

 

しかし、心は単純にはできていません。

無理矢理に自覚を促されると抵抗も湧くでしょう。

また、

心が自身を守る防衛をした結果としての無自覚さであれば、

自覚することが耐え難いといった

リスクがあるかも知れません。

 

まずは、心理カウンセリングという心理面に安全な場で、

カウンセラーとの関係性での安心を体験したり

心の取り組みに対する場慣れの感覚を得ることが、

自覚していなかった要素に対応していく第一歩と

言えるのではないでしょうか。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

鹿野 豪

川越こころサポート室のロゴ

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