「依存症は否認(ひにん)の病」
という言葉が
心理面の支援の現場にはあります。
否認とは
『否認(ひにん)』というのは、
文字通りには「認めない」ということ。
受けいれたくない現実・事実に対して、
薄々にでも分かっているからこそ
否定したり逆のことを主張して抵抗する、といったものです。
「そんなはずはない」といったように、
心が、心それ自体を守るために思わずしてしまう働きなのです。
事実を『否認』して、同時に作り出した内容を、
無自覚に事実と思い込んでしまうこともあります。
ですが『否認』は、心の抵抗であり、
悪意に基づいてだます作り話とは別物だとも言えます。
そうした『否認』が、
なんらかの意味をともなって
心の中に定着することもあります。
心に生じる『否認』であったり『否認』の定着は、
決して「心の弱い人」がおちいるのではなく、
誰にでも起こり得ることだと理解する必要があります。
依存症に関して
依存症のひとつに
ギャンブル依存症があります。
明らかにギャンブル依存症の人が、
周りの人を見て「あいつらギャンブル依存症だからさ~」と話すのに、
自身について「俺はギャンブル依存症じゃないよ」と言うことがあります。
まさしく
『否認』です。
また、「自分は勝てるはずだ」という思惑にとらわれ、
「負けの確率の方が高い」という事実を『否認』したりもします。
※負けの確率の方が高い=ギャンブルは一時的に勝つことはあっても、回数が増えるほどに主催側が勝つ仕組みだと言えます。
人への依存に関して
依存の心理は、誰かを相手に生じることもあります。
親への依存や、
カリスマ的な人物への依存、
恋人に依存することなどが、
代表的でしょうか。
依存する相手が必ずしも確かな人柄であるとは限りません。
依存の関係性で、たとえ相手に問題点があったとしても、
例えば
「それでも優しいところもあるから」
「厳しいけど、それには意味があるから」
「私たちにしか分からないことから」などと
目をそらす『否認』が起きたりします。
仮に身体的DV(暴力)・精神的DVといった
モラル・ハラスメントによって
メンタルが病んでボロボロになってしまっても、
依存と『否認』ゆえに自らの苦痛の感覚すら感じることなく
献身的に尽くし続けられるのです。
依存と否認のあやうい関係
依存における問題がズルズルと深刻化していく、
その理由のひとつが
この『否認』の心理だと言えます。
たとえ周りの人が
依存の状態を抜け出すよう手を差し伸べても、
どっぷりの時期であれば
その手を振り払われるかも知れません。
依存は、安心できて、心地よいので、
無くなっては困るからです。
依存の猛烈な心地よさや、その状態を失うことの怖さや不安を、
本人はとても強く感じているのではないかと推測されます。
また、依存する相手は、事物であれ人であれ、
その人が生きるよすがを成す価値観として
「自分自身で見つけた大事ななにか」なのです。
自分の生き方に関わる大事なものを一方的に引きはがされるのは
誰でも嫌ですよね。
「自分は特別に運がいい」「奇跡はある」などと思う体験や、
成功体験(例えばビギナーズ・ラック)、高揚感、
かりそめの安心感なども、
深い思い込みとなって『否認』を促し、依存を強める要因となります。
それに、依存する人の多くには誠実でまじめな面があります。
そんな人は、つぎ込んできた労力が報われずに
ゼロに戻ってしまうのを嫌がります。
ギャンブルにおける負けも、
誰かに尽くしてきたことも、
実はどんなに報われないのだとしても、
重ねに重ねた分だけ
依存を抜け出せない理由になります。
これらの理由だけとは限りませんが、様々な背景が組み合わさって、
心は自己防衛の『否認』を使うと考えられます。
そして、『否認』を使うようになると
ここに記したような「どうしてか」という理由について、
当てはまる場合にさえも
「そんな理由じゃない」と『否認』するようになるのです。
依存を克服するために
依存の度合いがあまりに過ぎて
周りから見て痛々しいほどの病んだ精神状態にありながら、
しかし
本人は問題を『否認』し続ける=自覚しないことがあります。
背景には、孤立感や、かつて虐待を受けた経験、
現実逃避、完璧主義ゆえのプレッシャー、
罪悪感など、
依存に引き寄せられる要因もありえます。
依存に関して、洗脳状態であったり
薬物などのダイレクトに影響してくる物質がもたらす
強烈な充足感により、
自力では脱するのが困難な状態におちいる場合もあるでしょう。
依存の危険性を甘く見てはいけません。
依存の状態に苦しんでいる方、
そんな人を助けたくても手を払われてもどかしくいる方、
どちらも
ひとりで抱え込むことなく
まずは
お近くの支援の輪に繋がっていただければと私は思います。
くり返しになりますが、これらは他人事ではありません。
誰の心のすき間にも、スッと入り込んでコントロールを奪ってしまう。
その危険性を甘くみてはならないのです。
『依存』や『否認』は、
本人が主体的なようで実は翻弄されているというもの。
それはいわゆる「常識」や「良識」の範疇を超えていて、
いわゆる「自己責任」を超えていて、
真っ向からでは解決しにくい仕組みでもあるからです。
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