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心の防衛

扉絵

何かやましいことがあるのだとして、

それが明るみに出た時に思わず

「違うよ、自分のせいじゃないよ」と

とっさのウソを言ってしまう場面があるとします。

 

このように、心は、自分自身、

もとい、心は  心自身 を守ろうとすることがあるのです。

 

「ウソを言う」などの実際の行動に現れたりもしますが、

ここでは

心の防衛として面に注目して考えてみましょう。

自我の防衛機制

こで「心の防衛」と呼んでいるものは、

フロイトが

『自我の防衛機制(じがのぼうえいきせい)』名付けた

心が持っている働きのひとつです。

当ブログでも、これにならって

心の防衛の機能を『防衛機制(ぼうえいきせい)』と呼ぶことにします。

 

フロイトののち、アンナ・フロイトが一冊の本にまとめました。

その後も、心理学の本には『防衛機制』の解説がよく出てきます。

 

今、改めて、私としては

「『防衛機制』には、こういう種類があって…」というように

分類をなぞるのは、誤った学び方だと主張したいと思います。

その方針では、

心の仕組みを理解することにならないからです。

心の対処をする能力

まず押さえておきたいのは、

その人の心が持つ、対処する能力についてです。

 

ここでの「対処」というのは、

現実からの刺激や、

心の中で湧いてくる刺激などに対して、

どうにか「対処」するという意味の「対処」です。

 

心に何かやましいことがあるのだとして、

それが明るみに出た時に、

「迷惑をかけた人たちに謝ろう」とするという場合も

可能性としてはあるでしょう。

客観的に見れば、それが望ましい対処とも考えられます。

 

しかし、できないのです。なぜでしょうか?

 

例えば、こんな理由からかも知れません。

「責められるのが嫌だから」

「相手を失望させたくないから」

「相手との関係が壊れるのが嫌だから」

「自分に失望したくないから」

「自分が孤立してしまいそうだから」

「つらさの感情が湧くのが嫌だから」

「出来事それ自体がショックで」

「実は別の隠したいこともある関係で」

 

「自分のせいじゃない」というウソも、

「自分のせいだと認めたら、そういう

悪い事態になってしまうかも知れない」と怖れて

とっさに出たのではないかと考えられます。

こうした心理を自覚しないまま

『防衛機制』が発動することが、実は多いのでしょう。

 

心がとっさに『防衛機制』による対処に頼るのは、

客観的に妥当と言える対処を実行する能力を

超えた場合だと言えます。

心による防衛という対処

「謝る」というのが客観的に妥当と言える対処だとします。

しかし、それができなくて、

心の『防衛機制』が働いて

とっさに「ウソをつく」という行為になったのだとします。

 

こうした『防衛機制』が絡んだ行為を「悪い」と

頭ごなしに否定的に捉えないことが、心理の理解においては重要です。

上に書いたように、自覚しているかどうかは別として、

その人の心なりに事情があるからです。

 

それが防衛としてのウソなのであれば、

相手をだます目的ではなく、

自分の心を守るためのものなのであり、

心の精一杯の対処なのです。

「悪い」と決めつけては身も蓋もありません。

心が使う防衛という働き

『防衛機制』は、

心が心自身を守るために

「有効である」

もしくは

「他に手段が無い」となると、

たいてい、繰り返し用いられるようになります。

 

心が、積極的にその防衛方法を選択するようになるのです。

時には防衛という目的のため、

そして

時には防衛のためではなくとも、その方法を使っていきます。

頻回な『防衛機制』は、

いつしか性格の一部となっていくこともあるでしょう。

 

※性格のことを心理学では『パーソナリティ』と言うのですが、それはまた別の話

防衛として働く神経症

私の『心理ブログ』では、前回、

『神経症』について紹介しました。

(参照 >>『心理ブログ』神経症とは

 

『神経症』は、脳神経の微細な回路の流れに起こる不具合から、

なんらかの症状、いわゆる神経症症状があらわれるというものでした。

 

その『神経症』と今回の『防衛機制』とに共通するのは、

どちらも心にとって不都合な流れを断つことに通じる

それなりの意味があるという点です。

「たまたま結果的に」かも知れませんが、似た働きをするのです。

 

現実においてどうか、というのは脇に置いておきます。

 

『神経症』で形成された症状がある時、

その回路に生じている不具合が

心の中で防衛として機能し得るのです。

防衛を突破されることの不都合

どんなことでも、

防衛を強引に突破されると、

された方は「大変だ」となります。

 

心の『防衛機制』も同じです。

心は精一杯に自分を守っているので、

それを突破されると「大変だ」となります。

 

たとえウソをつくのは良くないとしても、

防衛機制』を一方的にはぎとられる体験というのは、

心につらさとして残るなど

必ずしも良い結果をもたらすとは限りません

 

「北風と太陽」という物語があります。

ご存知の方は思い出してください。

旅人は外からの厳しい力に必死で抵抗し、

温かさの中で自分から決めた時にはあっさりとコートを脱ぎました。

『防衛機制』は、防衛の必要が無いと体験されてから、

本人の心の主体性が保たれた状態で取り除いていくのが無難と言えるでしょう。

 

防衛的や役割を持った『神経症』についても、それと同様です。

強引もしくは性急に『神経症』を取り除くと、

心は不都合に直面するので、

新たに別の『神経症』を作り出したり、

心のコンディションが不安定になることがあるのです。

防衛機制の種類

このブログでは「思わずとっさにウソをつく」という防衛を挙げました。

これは、

本当は「自分がやった」と分かっているからこそ、

もしくは薄々「自分のせい」と勘づいているからこそ、

逆のことを主張するという現象、

『否認(ひにん)』と呼ばれる『防衛機制』に分類されます。

 

これまでの『心理ブログ』で、

心の中の無意識の次元に不都合な情報を入れてしまう現象

(参照 >>『心理ブログ』無自覚について(無意識編))を紹介しました。

この『防衛機制』は『抑圧(よくあつ)』と呼ばれています。

また、

心の中で不都合な情報を切り離してしまう現象

(参照 >>『心理ブログ』無自覚について(解離編))、

これは『隔離(かくり)』や『解離(かいり)』となります。

 

他にも、様々な『防衛機制』があります。

繰り返しになりますが、

それを定型にはまった知識として頭に入れるのではなく、

仕組みとして理解して、活きた知恵を得ることが重要だと

私は考えています。

 

逃げる、攻撃する、支配する、理論武装する、などもありますし、

弱い相手を選ぶのも防衛的だと言えるでしょう。

強い者に迎合したり、殻に閉じこもったり、

理解できないものを無理やり自分の理解に当てはめたり、

数字で明確に表れる評価にこだわったり、

欲しい物が手に入らない時に別の代替物を見つけて自分を慰めたり。

心は、いろんな形で自らを守ろうとします。

 

世の中に『防衛機制』はどこにでも、いくらでもあります。

 

『防衛機制』を反映した現実面では、

卑屈に見えたり、ネガティブに評価されがちかも知れません。

しかし、

それらいずれも「悪いこと」と評価しないで、

心の防衛の働きであるとして、ありのまま受けとめて理解する、

それが心の分かる人になる道だと考えます。

 

フロイトやアンナ・フロイトの描き出した

理論としての『防衛機制』の種類を把握する学びは、

順序として、

それからあとで良いと思います。

心の防衛と心理カウンセリング

心を理解する上では『防衛機制』を否定的に見ないことが肝要です。

 

ですが、

実際には『防衛機制』によって困った事態が生じる場合もあります

 

誰が困るかと言うと、

本人の場合もありますし、

周りの人の場合もありますし、

社会の場合もあります。

 

それなりの期間がかかるとしても、

困った事態から解決に至る取り組みが求められるのです。

 

主な対応方法としては、

心が「防衛する必要が無い」と感じるように促していくことや、

防衛とは別の心の中の対処方法を身につけること、

現実的な対処能力を高めること、

より困らない『防衛機制』にすり替えていくこと、

あえて別のところに別の『防衛機制』を設定すること、

などがあります。

※ 当ブログで記す 「心理カウンセリング」 とは

 川越こころサポート室が提供するものを想定しております。

 他機関の専門性を保証するものではないことをご了承ください。    

鹿野 豪

川越こころサポート室のロゴ

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